■増永の12類型
12類型は、『人の研究』『性格の発見』『性格入門』においても、とりわけ詳細に述べられている、いわば増永篤彦のタイプ論の主役となる部分です。
ここで、まず用語と表記の違いについて整理しておきます。

増永は、
3類型:【情緒派/行動派/知性派】
2類型:【開放型/内閉型】
6類型:【情緒的/行動的/知性的】
これらの組み合わせによって12類型を表し、各類型の関係性を言葉で分かりやすく表記していました。
(12類型にも単独でY/U/R/Bなどとはしていました)
一方、ヒューマンスタディ協会では、
3類型:【ムード派/ファイト派/クール派】
2類型:【アウトサイド型/インサイド型】
6類型:【ムード派側/ファイト派側/クール派側】
という表記を用いています。
ここで気づかれる方もいらっしゃると思いますが、協会表記では、3類型を【派】、2類型を【型】、6類型を【●●側】とし、それぞれ役割の異なる概念として区別しています。
そして12類型は【タイプ】と呼び、3類型の頭文字を用いて、たとえばムード派であれば【M1タイプ/M2タイプ/M3タイプ/M4タイプ】という形で表記しています。
このように円環図を理解すると、M1やC3といった表記ひとつから、3類型・2類型・6類型それぞれの位置関係までを同時に読み取ることが可能になります。(※円環図については、別ページで詳しく解説しています)
これから、12類型それぞれの特徴について説明していきますが、特に『人の研究』では、各タイプの特性が18項目にわたって記されています。
本ページではその中から、
【C.社会的態度〔Ⅰ〕人生観】
の項目を取り上げ、内容を要約して紹介します。なお、増永の原文は学術的な表現が多いため、意味を損なわない範囲で、なるべく現代的で読みやすい表現に置き換えています。
■ムード派の4タイプ(情緒派)
●M1タイプ(十二運:養)
➡自分を特別な存在として客観的に見つめつつ、誠意を軸に人のために尽くそうとする。緊張を抱えやすい分、遊びや楽しさで均衡を取り、限られた人間関係の中で静かに人生を味わう。
●M2タイプ(十二運:墓)
➡派手さよりも粘りを信条とし、見通しと着実さ、具体的根拠を重んじて人生を組み立てる。人や社会を過信せず是々非々で向き合いながら、社会の一員として静かな自信をもって歩む。
●M3タイプ(十二運:冠帯)
➡自分を過度に責めず、信念と度胸を軸に未来と可能性へ向かって進む人生観を持つ。変化を成長と捉え理想を高く掲げ、多忙さの中に生き甲斐を見いだしながら、円満さや品位ある在り方を尊ぶ。
●M4タイプ(十二運:衰)
➡人生を中庸に捉え、苦楽の循環を前提として拙速な結論を急がない。伝統や経験を重んじ、自己を一歩引いて社会を観察しながら、人や時代の流れを見極め、晩年に向けて静かに歩みを進めていく。
同じムード派であっても、
M1:「人に尽くし調和を守る」
M2:「現実に耐え粘り抜く」
M3:「可能性へ踏み出す」
M4:「時を待ち状況を読む」
と、人生の向き合い方は明確に分かれています。
■ファイト派の4タイプ(行動派)
●F1タイプ(十二運:沐浴)
➡社会における有効性と実用性を人生の軸とし、価値ある秩序の実現を目指して努力を重ねる。理想社会への改革意識が強く、成果と即効性を重んじながら、弱者への保護と情の厚さも併せ持つ人生観。
●F2タイプ(十二運:病)
➡合理的思考を軸にしつつ、割り切れない領域には哲学的態度で向き合う人生観。攻撃的に見えて内面は慎重で、矛盾や曖昧さを抱えたまま思索を深め、安易な結論を急がない姿勢を持つ。
●F3タイプ(十二運:死)
➡人は人、自分は自分と明確に線を引き、他者に依存せず率直に生きる人生観。努力こそが結果を生むと考え、幻想や運命論に頼らず、孤独を受け入れながら黙々と前へ進む姿勢を持つ。
●F4タイプ(十二運:長生)
➡人生を競争の場として捉え、常に今の優位性を保つことを重視する現実主義。人への警戒心が強く、環境や教育を活かしながら、具体的で安全性の高い方法によって成果を積み上げていく姿勢を持つ。
同じファイト派であっても、
F1:「理想を掲げて進む」
F2:「矛盾を抱え思索する」
F3:「孤独に努力を貫く」
F4:「現実を読み勝ち続ける」
と、人生観ははっきり分かれています。
■クール派の4タイプ(知性派)
●C1タイプ(十二運:胎)
➡冷静に自分と人生を見つめる傍観者的姿勢を持ち、感情に流されにくい。若い頃は「自分らしさ」の探索に時間を使い、事実と観察を重んじながら、堅実さと未来への見通しを両立させて歩む人生観。
●C2タイプ(十二運:建禄)
➡秩序ある社会の中で役割を果たすことに価値を見いだし、理想と方法論を重んじる人生観。権威や信頼を得ることで自己価値を高め、感情に振り回されず、冷静に社会を渡る道を選ぶ姿勢が特徴です。
●C3タイプ(十二運:帝旺)
➡感性を人生の中心に据え、現実を楽しみながら自己表現を通して社会と調和しようとする人生観。大衆性や社会的要請にも応えつつ、無私的精神と使命感によって自己の可能性を広げていく姿勢が特徴です。
●C4タイプ(十二運:絶)
➡個性と現実を尊重し、理想に縛られず感性的な一貫性を生きる人生観。相対的価値を認めつつ、距離を保ちながら世界と関わり、俳優と演出家を併せ持つように人生を構成します。
同じクール派であっても、
C1:「見通しを立て静観する」
C2:「秩序と権威に身を置く」
C3:「調和を志し表現する」
C4:「距離を保ち構成する」
と、人生への向き合い方は明確に分かれています。
■ ゴールでなくスタート(重要)
● 決定ではなく可能性
増永のタイプ論において、特に12類型ごとに示されている特性・特徴・性格に関する記述は、「確定」や「決定」を意味するものではありません。
増永自身はこれを『個性となって発芽する可能性の“芽”』と表現しました。つまり、ここで示されているのはゴールではなく、スタートなのです。
たとえば、お子様が自分のタイプの特性項目を目にしたとき、「ぼくは、こういう大人になる可能性があるのかもしれない」と知ることは、決して間違いではありません。
大切なのは、その可能性の芽を自分の力でどう育てていくかという点にあります。
また、大人が自分のタイプの特性項目を読んだ場合でも同様です。
「この部分は、確かに自分に当てはまる」
→ 自己理解の手がかり
「この部分は、少し違う気がする」
→ 自己探求のスタート地点
一致点と不一致点の両方が、等しく意味を持つのです。
●「典型的な平均像」という考え方
※ここで用いている「平均」とは、統計上の数値的平均を指すものではありません。そのタイプが持つ構造上の中心的な姿を示すための概念です。
これはあくまで比喩ですが、同じタイプの人々に共通して現れやすい傾向を集めていくと、正規分布で言えば“山のあたり”に相当する特徴群が浮かび上がります。
このサイトで示している12類型の記述は、まさにその部分を言語化したものです。
したがって、12類型の記述は、その人の中にある『個性となって発芽する可能性の“芽”』を示したものにすぎません。実際の人間像は、生育環境や経験、関係性によって、必ず差異を伴って表れます。そして、その差異こそが、類型を超えて立ち上がる本当の意味での個性なのです。
● 個性を見る「個性」
私たちは、自分自身を
・「自分の目に映る自分」
・「他者の目に映っている自分」
そのどちらか、あるいは両方の主観によって捉えています。
しかし、どのような能力や方法を用いたとしても、他者の主観を完全に測り知ることはできません。ここでも必ず「差異」は生まれます。
この前提があるからこそ、増永は「絶対的な診断」という考え方を、明確に退けました。
● 認証バイアスについて
素直さは大切ですが、同時に疑う視点もまた重要です。
とくに悩んでいる時ほど、私たちの認知にはフィルターがかかりやすくなり、「当てはまった部分」に意識が集中し、「当てはまらなかった部分」は見えにくくなったり、目を背けたくなったりします。
一部の現行性格タイプ論では、命式から複数の要素を組み合わせ、差異を打ち消すことで「完全に当てはまっている」印象を演出するケースも見受けられます。その結果として、「理解したつもりになる」現象
──いわゆる認証バイアスが生まれやすくなります。
安心感を得るためには、状況によって有効な場合もあるでしょう。しかし、それは増永のタイプ論が目指した方向性とは異なります。
タイプ論は、自分を縛るためのものでも、他者を決めつけるための道具でもありません。自己理解の手がかりとして静かに用いられるとき、初めてその本来の価値が立ち上がるのです。
■ 襟を正す時
2類型、3類型、そして6類型。そこから12類型へと──
まるで幹から枝へ、枝から花へと展開するように、言葉は引き継がれ、より具体性を帯びていきます。その過程で、表現は装飾され、比喩が加わり、時に誇張も生まれます。わかりやすく、親しみやすく伝えるためには、ある意味で自然な流れだとも言えるでしょう。
しかし近年、その表現があまりにも行き過ぎ、本来の構造や前提から切り離されたまま、一人歩きしているケースが目立つようになってきました。たとえば──
「美意識を否定されると完全に心が閉じる」
「一度閉じたシャッターは二度と開かない」
「擬音が多く、音で会話するタイプ」
「実はズボラで普通の人」・・・
SNSという媒体の性質上、穏やかな表現は埋もれやすく、ひとつひとつに「可能性がある」「傾向として」と添えることが難しい事情があるのも理解できます。とはいえ、この傾向は今後さらに過激化していくでしょう。
もし増永篤彦が、現在の状況を目にしたとしたら──
その胸中はいかばかりか。そう思うと、正直、心が痛みます。
1980年代後半以降、いわゆる「現行コンテンツ」が占いソフト開発と合わせて世に広まりました。それから四十年弱の間、増永の存在はブラックボックスの中に置かれ、固い扉の向こうに閉じ込められていました。
2008年、『人の研究』の再版とともにヒューマンスタディ協会が発足した当初も、ご遺族のご意向により、「増永」という名を伏せたまま活動せざるを得ませんでした。
しかし2025年。
ついに、その名と、正しいタイプ論の構造が、世に示される時が訪れました。
いま、私たちは襟を正し、
「エンタメ」
「占術」
「心理学説」
その境界線を、意識的に引き直す必要があります。
このページで紹介してきた12類型は、人を決めつけるためのラベルではありません。また、何かを決定し、断定的に語れるものでもありません。
人を理解するための視座であり、可能性を読み取るための構造です。
その前提を忘れないこと。それが、増永のタイプ論を扱う者に求められる最低限の姿勢だと、私は考えています。