サーキュレーション図は、大きな3つの分類間の力関係などを解説するための図ではありません。
本サイトで紹介する「Masunaga Typology」は、生理性と心理性を基盤として、人を3類型・2類型・12類型・120類型へと体系的に理解する人間学です。その出発点となる考え方が、実はこのサーキュレーション図にあります。
《増永作成のサーキュレーション図》
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現在では、この図をもとにさまざまな解釈や応用が行われています。
本ページでは、それらを否定したり評価したりすることを目的とはせず、まずは増永篤彦自身がその著書『性格入門-タイプ的人生論』で何を伝えようとしたのかを、原典に沿って紹介します。
『性格入門-タイプ的人生論』では、サーキュレーション図を解説する章において、人の好き嫌いや合理性、必要性、決断のタイミングなど、人間のさまざまな反応の背景には「生理性」があることを繰り返し述べています。
そして、その生理性を土台として成り立つ心理性や、人と人との「わかりよい・わかりにくい」という関係を説明するために、このサーキュレーション図を用いています。
つまり、この図は3類型や2類型を説明するための図ではなく、それらの基盤となる人間理解の構造を示したものなのです。
■ 生理性が人の反応をつくる
● 理屈では説明できない「好き・嫌い」
「なんとなくこの人とは話しやすい。」
「初対面なのに安心できる。」
反対に、
「あの人は悪い人ではないけれど、なぜか苦手。」
このような経験は、多くの人が一度はあるのではないでしょうか。
また、人だけではありません。
「この服の色が好き。」
「この料理はどうしても苦手。」
「この場所はなんとなく落ち着く。」
こうした感覚は、理由を説明しようとしても、うまく言葉にならないことがあります。
増永は、このような人間の反応について、次のように述べています。
「対人的な好き嫌い、食物とか服装などの好みなどを規制するのは、教養とか知性、あるいは知能によるのではなくて、感情生理的な快、不快の反応作用がもたらすものなのである。」
さらに、
「そこに、世の中の、理屈通りにはいかない、また理屈ではわりきれない部分がある。」
と続けています。
つまり増永は、人の好き嫌いや好みは、知識や知性だけでは説明できず、その背景には生理性があると考えました。
● 生理性が変われば、理屈も変わる
私たちは、自分では「これが普通」「これが正しい」と考えがちです。
しかし、増永は、人はそれぞれ異なる生理性を土台として合理性を築いているため、議論が平行線になるのは自然なことだと説明しています。
「人は、めいめいの生理性にのっとった、合理性によって議論しているのだから、妥協以外には解決はない。」
また、決断するタイミングについても、
「タイミングを決するものは、素顔の必要性である。それは生理性がつかさどる。」
と述べています。
つまり、「早く決める人」と「慎重に考える人」の違いも、能力の優劣ではなく、生理性の違いとして捉えているのです。
■ 生理性には三つの傾向がある
増永は、人それぞれに異なる生理性を、大きく三つの傾向に分けて説明しています。
それは能力や性格の優劣ではなく、身体が自然に求めるリズムや反応の違いです。
『性格入門―タイプ的人生論』では、それぞれを「せっかち型」「のんびり型」「あいまい型」と呼び、その背景にある生理性の違いを説明しています。
● せっかち型
増永は、せっかち型について、
「生理体系が、早い代謝を要請し、停滞を拒否するからである。」
と説明しています。
身体が自然と素早い代謝を求めるため、停滞した状態よりも、動きや変化のある状態に生理的な自然さを感じます。
そのため、迷い続けるよりもまず行動することに価値を感じ、「思い立ったが吉日」という考え方にも共感しやすい傾向があります。
これは性格というよりも、生理性が求める自然なリズムとして説明されています。
● のんびり型
のんびり型について増永は、
「生理的な代謝が緩慢であるから、ペースを崩されると自己喪失におちいる。」
と述べています。
身体が急激な変化よりも安定した状態を求めるため、落ち着いた環境や自分のペースを大切にします。
また、
「めまぐるしい変化は、生理体系のバランスを維持できなくなるから、なるべく避ける。」
とも説明しており、自分のペースを守ろうとする反応も、生理性の働きから生まれるものとして捉えています。
● あいまい型
あいまい型について増永は、
「水面を滑っていく水鳥が、その脚はたえまなく動いているように、心理的な注意の網は、いつも緊張し、活動している。」
という印象的な表現を用いています。
一見すると穏やかに見えても、内面では常に状況を観察し、考え続けています。
また、
「身体で行動するよりも、頭で行動している。」
とも述べており、外側へすぐに動きを表すよりも、内面で注意を働かせ、状況を捉えようとする傾向を説明しています。
なお、ここでは「生理性」という言葉は直接用いられていませんが、増永の主著『人の研究』では、この型を「生理調整型」と表現しています。
このことからも、あいまい型もまた、生理性の違いを基盤とした一つの傾向として位置付けられていることが分かります。
■ サーキュレーション図が示す心理的距離
ここまで見てきたように、増永は人間の反応の土台には「生理性」があると考えました。
そして、その生理性の違いによって、人と人との間には自然と心理的距離が生まれると説明しています。
ここで示されるサーキュレーション図は、その心理的距離を表したものです。今一度ご覧ください。
《旧サーキュレーション図》
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※増永著書『性格入門—タイプ的人生論』で使用された円形図式
● 「わかる」とは共感である
増永は、サーキュレーションについて次のように述べています。
「わかる、わからないということは、本当の意味の理解ではない。共感である。そういう気がするのである。」
つまり、「わかる」とは価値観が同じという意味ではありません。
また、相手の考え方や理屈を理解しているという意味でもありません。
生理性が近いことで、
「なんとなく分かる気がする。」
「一緒にいると安心する。」
「自然と親しみを感じる。」
そのような共感や安心感を指しています。
● 「わからない」とは警戒である
一方で、増永は、
「わからないということは、不安感であり、警戒心である。」
と説明しています。
ここでいう「わからない」とは、
相手の話が理解できないという意味ではありません。
また、「説明が伝わりにくい」「会話がかみ合わない」ということでもありません。
生理性が離れていることで、
「なんとなく距離を感じる。」
「少し緊張する。」
「自然と遠慮してしまう。」
そのような警戒や不安感を表しています。
● サーキュレーションが示しているもの
サーキュレーション図が示しているのは、生理性の違いによって生まれる心理的距離です。
つまり、
生理性の違いによって、「なんとなく分かる」という共感・安心感と、「なんとなく分からない」という警戒・不安感が生まれる。
これが、増永がサーキュレーションで伝えようとした本質です。
そのため、この図は価値観の違いを説明したものではありません。
また、話が伝わりやすい・伝わりにくいことを説明したものでもありません。それらは、生理性そのものではなく、そこから展開する心理や行動の領域で扱われる内容です。
ましてや、頑固さや柔軟さ、エネルギーの方向、相性の良し悪しなどを表した図でもありません。
増永は最後に、
「わかるということは、相手の心理的、生理的体系が、あるていど実感できることである。」
と述べています。
サーキュレーションとは、知識や理屈による「理解」を示す図ではなく、生理性の違いによって生まれる共感・安心感と、警戒・不安感という心理的距離を示した図なのです。
■ サーキュレーションから3類型へ
増永はこの章で、人それぞれの生理性の違いを、「のんびり型」「せっかち型」「あいまい型」という言葉を用いて説明しました。
しかし、これらは増永が新たに作り出した別の3類型ではありません。
増永の理論においては、すでに人間の基本的な心理構造として、
- 情緒派
- 行動派
- 知性派
という3類型が示されていました。
《新サーキュレーション図》

※旧円形図式をヒューマンスタディ協会にて原文のまま3類型をあてがった図
この章で増永が「のんびり型」「せっかち型」「あいまい型」という日常的な言葉を用いたのは、情緒・行動・知性という心理的な傾向の、さらに手前にある生理性の違いを説明するためだったと考えられます。
そして、生理性と心理的距離についてその説明を重ねた後に、ここで初めて、
- のんびり型=情緒派(=ムード派)
- せっかち型=行動派(=ファイト派)
- あいまい型=知性派(=クール派)
という対応を示します。
ここに、この章の大きな意味があります。
増永は、情緒派・行動派・知性派を、単なる性格や行動様式の分類として説明しようとしたのではありません。
人がなぜ情緒を重んじるのか。
なぜ行動することを求めるのか。
なぜ考え、見極めようとするのか。
その背景には、それぞれに異なる生理的な反応の仕組みがあることを示そうとしたものと考えられます。
つまり、「のんびり型」「せっかち型」「あいまい型」は、情緒派・行動派・知性派とは別の分類ではなく、その3類型をより深い生理性の側から説明するための表現と捉えることができます。
サーキュレーションは、3類型の表面的な性格差を示す図ではありません。
情緒・行動・知性という心理的な違いの奥に、それぞれ異なる生理性があり、その生理性の違いによって人と人との間に共感や警戒という心理的距離が生まれることを示したものです。
増永はこの章を通して、3類型を心理の分類だけで終わらせず、その根にある人間の生理的な反応へと読者の視線を導いたのではないでしょうか。
■ 類型は個人を決めつけるものではない
ここまで見てきたように、サーキュレーションや3類型は、人を「この人はこういう人だ」と決めつけるためのものではありません。
増永は、類型について次のような趣旨の説明をしています。
「類型とは、一人の人間をそのまま表したものではなく、同じ系列に属する人々を比較したときに見えてくる共通した特徴を、抽象化して表現したものである。」
つまり、類型とは一人ひとりを完全に説明するものではありません。
同じ類型であっても、生まれ育った環境や経験、教育、人との出会いによって、その表れ方は大きく異なります。
増永は、この違いを「フランス人とドイツ人の国民性」に例えています。
一般的な傾向として国民性を語ることはできますが、実際に一人のフランス人と一人のドイツ人を比べても、その違いが明確に現れるとは限りません。
類型も、それと同じです。
共通した傾向を理解することはできますが、その人自身を決めつけるものではありません。
このような考え方からも分かるように、増永が目指したのは、人を分類することではなく、人を理解することでした。
人は誰もが、一人ひとり異なる人生を歩み、それぞれ異なる経験を重ねています。
しかし、その背景には、生理性や心理性に共通する一定の傾向があります。
その傾向を知ることは、自分自身を見つめ直すことにつながり、同時に、他者を理解するための手がかりにもなります。
本サイトでは、この増永篤彦の人間理解の思想を、Masunaga Typologyとして受け継ぎ、原典に基づきながら現代へ伝えていきたいと考えています。