増永篤彦略歴
増永 篤彦(ますなが・あつひこ)
著作における別名(占術名):三命方象(さんめいほうしょう)
1922年 – 1991年
旧制・第三高等学校を経て、京都大学に進学。心理学を専攻し、昭和27年に同大学を卒業。その後、京都大学大学院(旧制)に在籍し、臨床的性格学の研究に従事した。中学時代より運命学に強い関心を持ち、手相学や推命学の研究を開始。戦時中は軍隊に在籍し、昭和20年の終戦を予見したという逸話を残している。
復員後は学業と並行して、姓名学・方位学・印相学・墓相学など、幅広い分野の研究を更に進め、運命学を占術の域にとどめず、科学的視座による体系化を志向した。推命学においては、三十数年にわたる体験と思索、臨床的観察や資料の収集、統計的な考察を重ね、旧来の枠組みにとらわれない独自の研究領域を開拓。その成果は後に『新推命学』として結実する。
広範な人間観察と心理学的知見をもとに、独自のタイプ論による人間理解の体系を構築。
元・(財)社会文化研究センター主任研究員。日本心理学会会員。
■著作紹介



増永の著作は、決して多いとは言えません。
最も古い出版物は、昭和25年に同題名のもと、少部数の簡易印刷物(孔版)として発表された『新推命学』です。
この書籍は後に「幻の推命書」と呼ばれることになりますが、昭和61年、著者名「増永篤彦」として、後年の研究成果や、すでに絶版となっていた書籍の知見などを加えて再構成され、あらためて刊行されました。
『個性学入門』『生まれ日占星術』は、「三命方象」という占術者名のもと、昭和47年から隔年で刊行され、平成4・5年度版まで続いています。
これらの書籍では、生日基運(十二運)を基盤に、男女それぞれ60分類(計120分類)へと細分化し、各タイプの気質や運気の特徴が記されています。
現在広く知られている「生年月日から個性を12分類し、さらに60分類(男女120分類)へと展開する」タイプ論の多くは、その原型をこれらの著作に見ることができます。
『性格の発見』は昭和36年に初版が刊行され(写真は昭和52年発行・第13刷)、『性格入門』は昭和38年に初版が刊行されました(写真は昭和49年発行・第10刷)。
これら二冊は、主著である『人の研究』の内容を二分し、学術的な表現をできるだけ避けながら、一般読者にも理解しやすい形でまとめ直した書籍です。
増永篤彦のタイプ論概略
『人の研究』(写真)は、昭和34年に出版された増永篤彦の著作の完全復刻版です。
本書は、ご遺族からのご依頼を受け、増永の研究を後世に正しく継承する役割の証として、あえてヒューマンスタディ協会の名で復刻出版されました(平成20年刊行)。
『人の研究』と題された本書は、「社会のための心理学」を志して心理学者の道を歩んだ増永篤彦にとって、記念すべき最初の「幻の出版物」とも言える心理学書です。
そこでは、気質(生まれ持った性格傾向)の類型化というテーマが、本格的に扱われており、後年に展開されるタイプ論の原点を見ることができます。(注)写真には6冊並んでおりますが、全1巻です。セットではございません。

● 増永篤彦のタイプ論①(タイプ特定の方法)
増永篤彦のタイプ論では、人のタイプを特定する段階において、占術的手続きを用います。それは増永の『新推命学』にこだわらなくとも、四柱推命の算出方式でもできるものです。
例として生年月日から導かれる「命式」の画像を貼りました。

一例として示した図の左に「柱」とあります。その中央にある「十二運」。そして日柱との交差に「帝旺(ていおう)」とあります。これが増永が着目した12から構成されている星となり、増永のタイプ論では「12類型」として扱います。
また、同じく左の柱に天干と地支とありますが、これはそれぞれ独立した体系ですが、この二つを組み合わせたものを「六十干支」と呼び、上下合わせて「戊午(つちのえうま)」となり、これは増永のタイプ論では60類型として扱います。
増永は心理学者であると同時に高名な占術家でもありました。独自の『新推命学』を駆使して個人や企業のコンサルタントも行っていましたので、命式で表されている他の要素を駆使して運勢や運気も占っていたことは事実です。
しかし、増永はタイプ論に限っては終始一貫して日柱のみにこだわり運用していました。ここがまず現行世に出ている性格タイプ論コンテンツとの大きな違いです。
つまりこの図の例で言うと、帝旺と戊午の選出だけが占術だけであったということです。
また、現在の心理学、タイプ論に目を向けると多くが質問紙による診断テスト(アンケート方式)と、専門家によるインタビューや観察を組み合わせる方法ですが、質問者の技量にも左右され、アンケート形式では心理状態やテストを受ける環境などにも左右される可能性は否めません。
しかし、生年月日だけは絶対に変えようがない事実であり、生涯その「数字」を変えることができません。
なので人のタイプ特定法のひとつとしては価値があるものだと私は考えます。
●増永篤彦のタイプ論②(心理学説としての展開)
代表著書である『人の研究』では、一切「占術」には触れられていません。
十二運に該当するタイプについても、「知性的情緒派・開放型」「行動的知性派・内閉型」といったように、心理学的な呼称が用いられています。
また、著者名が占術者名である「三命方象」ではなく、「増永篤彦」とされている点にも、増永の明確な意思が感じられます。
それは、タイプ論に関しては完全に心理学説の領域として扱い、占術とは切り離して運用するべきものである、という立場の表れではないでしょうか。
タイプ論を扱う立場にある者として、この姿勢は尊重されるべきものだと私は考えています。
増永が、生前この理論を「正式に譲渡する」ことを一貫して拒んでいた背景にも、理論が安易に簡略化され、消費されていく未来を見据えていた可能性があるのかもしれません。
では、その中身を少し覗いてみましょう。


『人の研究』では、12類型それぞれについて、容姿・態度・生理的体質・能力特性・趣味・職業傾向・社会的態度・社交態度など、きわめて多角的な視点から詳細に書き遺されています。
その記述は多岐にわたり、読むほどに、その内容の濃さと観察の深さに畏敬の念を覚えます。
もはや単なる心理学説書の域を超え、そこには増永の哲学、美学、そして人間への深いまなざしが感じられる作品となっています。
● 増永篤彦のタイプ論③(個性とは何か)
増永が書き遺した言葉の中で、私が特に心に残っているものがあります。
それは、
「個性となって発芽する可能性の“芽”である」
という一節です。
この言葉が示しているのは、増永が提示したタイプ特性は、決して完成形やゴールではない、ということです。むしろそれは、その人が生まれ持った「出発点」であり、「土台」にすぎません。
そこから先、どのような環境に身を置き、どのような人と出会い、どのような選択を重ねてきたのか。その積み重ねによって生まれる差異こそが、本当の意味での「個性」なのではないでしょうか。
タイプ論とは、人を枠にはめるための道具ではなく、その人が育ててきた個性を、確かに認め、尊重するための視点である。
私は、そのように理解しています。
(※文中の画像は一部を除きヒューマンスタディ協会より借用)
一般社団法人 ヒューマンスタディ協会
一般社団法人ヒューマンスタディ協会は、推命学の大家であり、一方で心理学者(日本心理学会員)として独自の性格類型学「個性学」を発表された故増永篤彦先生のご研究とその理論を「正しく」後世に継承するための協会団体として設立しました。協会は、ご研究を大切に保護・継承する役割を担っておりますが、排他的な目的のために設立された協会ではありません。原典に敬意を払いながら、協会員が個々に独自の研究を重ね、発展していくことを目的として運営しています。
設立
任意団体設立 :2008年(平成20年)※「人の研究」復刻版出版に合わせて
一般社団法人化:2015年(平成27年)