今回はこれ。
増永篤彦こと「三命方象」の【個性学入門】から引用。
『…四行思想というものは、独立の思想として文献や学説にあらわれたことはないが、これは四行説を唱えなくても、春夏秋冬の四季におきかえればよいからであろう。
樹木を連想させる木性は冬の間に成長し、春になってけんらんの花を咲かせ、夏の炎暑にあって衰えはじめ、秋には木の葉を落とす。十二運はこのように四季の四行思想を土台として、季節感からくる自然界の盛衰を説くものである。五行の土は独立した気としては最後に場を与えられたらしい。朱子によって大成された宋儒学派が「仁義札智」の四個の理にたいして「金木火水」の四個の気をあてていることからもそのことが頷ける。
陰陽五行思想が春秋戦国の時代をまって完成されたものとすれば、それ以前における年、月、日の干支は、五行思想以前の単なる五気としての十干か、陰陽の性格だけを帯びた序列記号にすぎなかったのかも知れない。
万有引力を証明したのはニュートンだが、ニュートンの生まれる前から万有引力はあった。陰陽五行思想の発明されていない時代でも、生まれ日はあきらかに人間の運命と関連があったということだ。そのただひとつの手懸りは、生まれ日の干支である。
日本でも、中国でも、推命術が、重大な反省期にはいり、原点に立ち返って再出発する必要にせまられる時があるとすれば、その原点は「生れ日の干支」だけでしかない。』
これを思想の芯を落とさず、箇条書きに翻訳すると…
■四行思想と五行思想の成り立ち
・四行思想の自然性
四行思想が独立した学説として意識されなかったのは、四季(春夏秋冬)の移り変わりという自然な感覚として人々に浸透していたためである。
・十二運の土台
植物が「冬に蓄え、春に咲き、夏に衰え、秋に枯れる」という四季の循環(四行)こそが、十二運の盛衰を説明する根本的な考え方である。
・五行における「土」の性質
五行思想の「土」は最初から存在したのではなく、後から体系に組み込まれた可能性が高い。儒学(朱子学)の基本構造を見ても、本来は四つの要素が基準となっていた。
■思想の変遷と原点
・体系化前の干支
五行思想が完成する前の「干支」は、五行という理論ではなく、単なる「五つの気」や陰陽の性質を持つ記号にすぎなかった可能性がある。
・不変の法則
ニュートン以前から重力があったように、五行思想が発明される前から「生まれ日」が運命に影響を与えるという事実は存在していた。
・今後の推命術のあり方
推命術が原点に立ち返るならば、後付けの理論ではなく、最も純粋な手がかりである「生まれ日の干支」に注目すべきである。
増永は、そう考え『新推命学』を確立させました。
これは増永が他の書籍でも述べている
「従来の干と支の関係による五行思想的な立場では、私の六十干支による個性の解明は不可能である。」
とする増永篤彦の思想理論のひとつです。
したがって十二運(12タイプ)の性格タイプ論は、巷で定説になっている「五行思想」ではない証拠。
すこし胸を張って「四柱推命でもない」とも言えます。
よろしいでしょうか。


コメント