理論は、いつしか人格や姿勢への評価にすり替えられていた

こんにちは。

生年月日からタイプ分類界の老害、揚げ足奉行の戸栗です。

【その④—3】からの続きです。

私が知りたかったのは、動物キャラを用いたタイプ論の上級認定講師さんが投稿された、

『こじかタイプは高圧的な人が嫌い! ムリ!』

という表現で、私の問いかけに「特に」という発せられた言葉の根拠でした。

しかし残念ながら、現時点でその問いへの直接的な回答は得られていません。その代わり、私の問いかけを受けての“返答であろう投稿”が、ご本人のタイムラインに現れていました。

全文の掲載は控えますが、印象的だった一文だけ挙げると、

「精神的に成熟していれば、他者は他者、自分は自分、『自分の正しさ』という刃を振るう必要がないことに気づく」

という内容でした。

■ 同じ線上の理論だからこそ

ここで、改めて整理しておきたいことがあります。

仮に、この上級認定講師の動物キャラ理論が【A】、私が扱っている増永理論が【B】というまったく別の体系であるなら、この指摘は正しいでしょう。

であるとするならば、なおのこと「12タイプの中で、なぜM1タイプが“特に”なのか」という点については、理論的な説明を示していただけても不自然ではありません。

しかし史実としては、増永理論が【A】で、動物キャラ理論は、そこから派生・翻訳・再構成された【A´】という関係にあります。

つまり両者は同じ線上にある理論です。

原典を研究・参照している立場からすれば、【A → A´】へ移行する過程で、どこで・なぜ・どのように言葉が装飾・単純化されたのかを問うことは、ごく自然な行為だと私は考えています。

私が知りたかったのは、誰が正しいかではありません。ただ、言葉がどこで、どのようにズレたのか──

その経緯だけでした。

■「勝って官軍、負けて賊軍」

今回のやり取りを通して、もう一つ、はっきり見えてきたことがあります。

それは、動物キャラを用いたタイプ論界隈に存在する“空気”です。

・分かりやすさこそが正義
・共感されやすい言葉が善
・「みんなそう思うよね?」が最強
・断定する言い方に安心感
・「心理学」「統計学」に酔いしれる

この空気を保つことが、暗黙の前提として共有されている。

そしてその空気を乱さず、分かりやすい物語を供給する側が「官軍」。

一方で、

・原典を読み
・構造を分解し
・深く思考し
・言葉の出どころを問う

こうした行為は、その空気を揺らす存在として扱われやすい。結果として、論点はずらされ、問いは「姿勢」や「態度」「未熟者」の問題へと置き換えられてしまう。

■ 人は理論で応答できないとき、何を語るか

日本的な文脈では、こうなりがちです。

正しいかどうか → 問われない
理由があるか → 不要
和を乱していないか → 問題化

だから、

「正しさを振り回すな」
「精神的に未熟だ」
「理論が違うでしょ」
「深堀はムダ。結果で十分」

といった、人格や姿勢への評価に転換が起こる。これは防衛反応として、とても自然なものでもあります。

■ まとめ

おそらく私の問いは、あの界隈では“野暮”なのだと思います。

空気を守る者が官軍で、言葉の出どころを問う私は賊軍になる。

ただ私は、どこで言葉がズレたのかを知りたかっただけでした。

……後日。

ヒューマンスタディ協会の仲間の講師にこの話をしたところ、

「戸栗さん、それは犬に論語だよ」

と一蹴されました。

笑……なるほど。

どうやら私の問いは、理論以前の場所に投げ込まれていたようです。

これを機に、「ひつじに論語」や「ライオンに論語」が生まれないことを祈りつつ──

(いや、ムリかな)

今回はここまでとします。

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