「才能が止まる」と言っていいのか?タイプ論と言葉のズレ

こんにちは。

生年月日からタイプ分類界の老害、揚げ足奉行の戸栗です。

……いや、もっとも揚げ足を取っているつもりはなく、「その言葉は、どこから来たのか?」を確認したいだけなのですが。

今回、SNSで目に留まった投稿がこちらです。

・黒ヒョウ:M3タイプ(冠帯)
・こじか:M1タイプ(養)
・ひつじ:M2タイプ(墓)

『この三つのタイプは言葉の温度が全てなので、「適当でいいよ」や「考えすぎだよ」などの言葉がけで才能が止まる。』

投稿者さんは、波動やエネルギーといったスピリチュアルな領域からもカウンセリングをされていらっしゃるようなので、これは増永原典の心理学的文脈ではなく、スピリチュアル、あるいは占い的視点からのご判断であることを切に願いたいところです。

■ 言葉の温度について

確かに、この3タイプはいずれもムード派に属し、情緒性が優位になるため、言葉の強さや冷たさによって気分の沈みを感じる場面はあるでしょう。

ただし、それが「全て」かと言われれば、私はそうは思いません。

むしろこの3タイプに共通して見られるのは、言葉そのものよりも「言葉の行間」「間合い」「置かれた空気感」といった、非言語的な要素への反応です。

同じ言葉であっても、誰が・いつ・どんな関係性の中で発したのかによって、心理的な受け取り方は大きく変わります。

これは「言葉の温度」というより、関係性と場の構造の問題だと考えた方が、原典的には自然でしょう。

■ 「才能が止まる」という言い切りについて

問題は、次のこの一文です。

「言葉がけで才能が止まる」

これは、増永原典を読み込んでもつながると思われる根拠が見当たりません。少なくとも増永学説において、特定の言葉が才能を直接的に停止させるという因果関係は示されていません。

見られるのはせいぜい、

・表現が一時的に引っ込む
・外に出すタイミングを見送る
・自己調整として距離を取る

といった反応であり、それを「才能が止まった」と断定するのは、かなり強い言葉の使い方です。

■ その断定は、どこから来た言葉か

ところで先日、動物の講師をされている方から「『決めつけるな』という人ほど決めつけている」と、遠目にご指摘を受けました。

確かに私は、さまざまな投稿を見ては、タイプ論の原典を守りたい思いと、ラベリングによって思考が止まってしまう方を少しでも減らしたい立場から、「それ、言い切っていいの? 大丈夫なの?」と、つい過敏に反応してしまう人間です。

そして今回、私が最も気になったのは、「才能が止まる」という強い言い切りでした。

この言葉は、
・増永学説の文脈から導かれたものなのか?
・別の心理学理論に基づく定説なのか?
・スピリチュアル的な解釈なのか?
・あるいは占術テキストからの結論なのか?

どこから来た言葉なのかによって、意味も、そして責任も大きく変わります。だから私は、ここで「ちゃんとした根拠があるのですね?」と確認したくなるのです。

■ 言葉の責任

完全なエンタメとしての発信であれば、多少強い言い切りがあっても構わないでしょう。特にSNSではそれが求められている傾向があります。

しかし、

・カウンセリング
・コーチング
・あるいはその後の「あなたも学びませんか?」という講師ビジネスへの導線

が控えている立場であるならば、言葉の出典と責任については、もう一段慎重であって然るべきだと思います。

■ スピリチュアルとタイプ論の線引き

誤解のないように言っておきますが、私は占術もスピリチュアルも大好きです。小学生時代のスプーン曲げブーム以来、超能力・心霊・UFOに至るまで、それなりの理解と造詣を持ったオジサンです。

ただし、スピリチュアルや心霊は、どこまで行っても主観の世界を越えません。その世界の中で「定説」とされているものですら、です。

だからこそ、スピリチュアルとタイプ論は折衷理論として混ぜて扱うのではなく、きちんと線を引いた上で、言語を選ぶ方が健全なのではないでしょうか。

本日はここまで。

さて、帰りにお空を見上げて、UFOでも探しながら帰るとしますか。

では。

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