こんにちは。
生年月日からタイプ分類界の老害、揚げ足奉行の戸栗です。
前回【その⑥】では、「丁寧に扱ってくれる場所を選べばいい」という言葉が、知らず知らずのうちに人を環境依存へ導いてしまう危うさについて触れました。
結果として、思いがけずシリーズ化してしまいましたが、深く考える機会を与えてくれたSNS投稿者には感謝しています。
■ 合わない環境は、確かに存在する
まず大前提として、
・パワハラ
・理不尽な扱い
・明らかに心身が消耗する場
こうした「合わない環境」は、確かに存在します。そして、逃げる判断が必要な場面も確実にあります。その判断基準は、体力・精神力・立場・責任の重さなど、個人差が大きく、一概には語れません。
ただし、ここでひとつ明確にしておきます。この判断に、タイプ論や占い的な相性・運勢が介入する余地はありません。
■ しかし「合わない=悪」になると、何が起きるか
問題はここからです。
「この環境は自分に合わない(前回の文脈で言えば“丁寧に扱ってくれない”)」
↓
「周囲が悪い」
↓
「去る(だって“丁寧に扱ってくれる場所を選べばいい”と言われたから)」
↓
「また合わない」
↓
「また悪い……」
という無限ループ。
そして、いつの間にか次の構造が出来上がります。
・環境は「自分を満たす装置」
・合わせるのは常に「外側」
・自分は変わらない(変える必要がない)
この構造は、人としての学びや成長を止め、やがてコンテンツへの依存を強めていきます。
■ 環境は「善悪」ではなく「相互作用」
人は、環境に適応する存在であって、完全に規定される存在ではありません。つまり、
「合わない環境=悪」ではなく、
「合わない環境=各タイプの特性による反応が起きやすい場」と捉える方が、構造的に正確です。
■ 「合わない」は3つに分けられる(重要)
ここが、今回いちばん伝えたいポイントです。
① 危険な合わなさ
→ 即、離脱すべき
心身を壊す可能性がある環境です。判断は慎重にすべきですが、この問題は、時代・国・組織を問わず必ず発生します。ここに、性格タイプ論が入り込む余地は一切ありません。
② 摩擦のある合わなさ
→ 調整・学習・成長が起きやすい
本来、組織とはこうした摩擦を内包するものです。人数が増え、上下関係が生まれれば、摩擦は起きて当然です。しかし、相互理解が進めば摩擦は調整され、互いを尊重できる関係へと変わっていきます。この場面でこそ、タイプ論は「摩擦回避の補助ツール」として有効です。
※ ただし、過度な思い込みやラベリングを除けば、ですが。
③ 幻想的な合わなさ
→ ラベリングや思い込みによるもの
私が、賊軍覚悟で繰り返し指摘しているのが、ここです。
・自分へのラベリング
・相手へのラベリング
ただし、誤解のないように言えば、ラベリング自体がすべて悪なわけではありません。摩擦の原因を見極め、相手との調整を試みた上で、それでも難しい場合に、
「あの人は〇〇タイプだから仕方ない」
と俯瞰して赦すために使うのは、非常に上手な使い方でもあります。
■ タイプ論を「判断の免罪符」にしない
合わない環境は、確かに存在します。しかし、すべての「合わない」が悪なのかどうか。一度、立ち止まって考えてみてもいいのではないでしょうか。
タイプ論は、環境を選ぶための免罪符ではありません。自分と環境の関係を読み解くための道具なのです。
では。


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