本ページで扱う『サーキュレーション』とは、増永学説における、人の理解が円環構造の中を往復する概念を指します
※ここで用いる『サーキュレーション』は、個性心理学(個性學)で用いられているサーキュレーションとは異なります。
■増永個性学のサーキュレーション
まずこのモノクロの画像をご覧ください。これは増永の書籍『性格の発見』にて使用されたもので、従来の円環図をもっと簡略化して3類型における関係性を説明をしたものです。
増永のタイプ論を学ぶ際に重要なポストにあるのでこのページで引用し説明します。
図には【せっかち型–のんびり型–あいまい型】と記されていますがこれは3類型のことで、原文にも心理学用語を使用しないでわかりやすく書いてありますので、3類型の復習の意味も含めて要約引用します。
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●【せっかち型】=3類型ファイト派
『せっかちな人は自らを機敏で積極的だと自負している。代謝が速い生理体系ゆえに停滞を嫌い、停滞によるイライラを避けるため「早いこと」に価値を置く。あわて者との批判も、「グズ」や「臆病」と言われるよりははるかにマシだと考えており、「思い立ったが吉日」を信念に、何よりも速さを優先するのである』 該当十二運:沐浴/病/死/長正
すなわち:目的達成のために即座に行動しようとする強い『意』が先行
●【のんびり型】=3類型ムード派
『のんびり者は落ち着きやゆとりを好み、軽率さを嫌う。代謝が緩慢なため、急激な変化や速断は自己喪失や失策を招くと考え、不安や警戒を抱くのである。生理的バランスを守るためにも、自分のペースを維持することを優先し、「待てば海路の日和あり」という信念のもと、納得いくまで時間をかける。』 該当十二運:養/墓/冠帯/衰
すなわち:自分が心地よいと感じ、周囲に惑わされず自分のペースを守る『情』が先行
●【あいまい型】=3類型クール派
『あいまい型は一見不得要領だが、水面下の水鳥の脚のように頭脳は常にフル回転している。目先の能率よりも「しないことの大事さ」を重んじ、慎重かつ緻密な計画性を好む。自己主張より相手を知ることに努め、「せいては事を仕損じる」を信条とする。身体より頭で行動する、思慮深い性質なのである。』 該当十二運:胎/建禄/帝旺/絶
すなわち:行動の前に分析を行い、自己主張よりも相手を知りリスクを計算する『知』が先行

となっています。
そこでこの図をヒューマンスタディ協会用語に置き換えて作り直したのがこの図です。原典に忠実に名称と色付けだけをしました。
さて、なぜ増永は初めから【行動派(ファイト派)–情緒派(ムード派)–知性派(クール派)】と記さないで【せっかち型–のんびり型–あいまい型】という表現を用いて『わかりよい–わかりにくい』の違いを述べたかったのか?
そこには明確な意図があります。

■「わかりよい–わかりにくい」とは?
まず図の説明をしましょう。3類型の各円から左回りが「わかりよい」、右回りが「わかりにくい」となっています。例えば上部ファイト派から左回りに位置するムード派は、ファイト派4タイプにとっては分かりやすい人たちで、逆に右回りに位置するクール派4タイプは分かりにくい人たちであると。
この「わかりよい–わかりにくい」とは、単に
・理解しやすい–理解しにくい
・扱いやすい–扱いにくい
・伝わりやすい–伝わりにくい
などといった「価値観」「行動特性」「表現」などの表層部に見える性格の違いによるものを示したものではありません。
■性格の素顔
増永は『性格の素顔』という表現を用い、この大項目の説明をスタートさせました。これは性格タイプ論でいうところの2類型や3類型のシェルドン的、クレッチマー的な心理学説で語るもっと前の部分、つまり「人間」として持ち合わせる生理性と心理性の違いによる部分を、増永の視点から説明を始めたかったからです。
●生理性ありきの心理性
人間の感受性、合理性、必要性などの「心理的」なものは、実は「生理性」の裏づけによって支えられているのです。
生理性とは知性がもたらすものではなく、説明のしようもなく、立証すべき論理もない、「そういう気がする」「なんとなく」といった理屈ではわりきれない部分のこと。
その感情生理の反応作用によって、「心理」として語られる物事が「人との違い」を生み出すのです。ここで重要なのは、増永が述べているのは
「性格や価値観が違うから噛み合わない」といった、ここの文脈でいうなら表層ではなくもっと深い層、つまり感情生理が先に動き、心理(思考・解釈・主張)はその後につくという原則です。
● 「理解しようとして理解している」のではない
私たちは、相手を理解しようと努力して理解しているように思っています。しかし増永は、そこに踏み込んでこう述べています。
「わかる、わからないとは理論的理解ではなく“共感”である」
つまり、「好ましい」「安心できる」「気安い」「甘く見られる」という“好意と油断の系列”が「わかる感じ」を生み、逆に「不安」「警戒」「遠慮」「尊敬」という“距離と緊張の系列”が「わかりにくさ」を生みます。
ここには「論理」も「立証」もありません。感情生理が先に判断している。まさに 理解の前に“身体の反応”が起きているのです。
● 理屈・説得・説明が効かない理由
あなたが
・一生懸命に説明しているのに伝わらない
・論理的に正しいはずなのに納得してもらえない
・相手は理解した「つもり」のはずなのに噛み合わない
こうした摩擦は、コミュニケーション能力不足でも、価値観の違いでもありません。増永が指摘した本質は理解より先に「身体の快・不快」が判断を命じている。つまり、人は
・安心できる相手には“共感”が湧く
・緊張する相手には“理屈が届かない”
という、生理的な心理距離で反応している。その「距離」を決めているのが、増永の言う代謝・神経反射・リズムという“生理体系”なのです。だから、理屈は原因ではなく、結果を正当化する道具にすぎません。
●「価値観」では決着しない理由
価値観の違いは、言語・経験・教育によって調整できる「知性領域」です。話し合い・契約・ルールで歩み寄れる。しかし増永が扱っているのは、そのもっと手前。
・「なんとなく安心する」
・「なぜか警戒する」
この段階は知性の介入を受けつけない。だからこそ増永は言い切ります。“わかる/わからない”の正体は、理解ではなく共感である。つまり価値観は変えられるが、生理性は変えられない。
■サーキュレーションとは「心理的距離の軌道」
増永が描いたこの円は、「伝達効率」や「意思疎通の上手い・下手」を示す図ではありません。もっと手前の段階で、身体が先に判断してしまう “心理的距離の向き” を描いた図です。
※本ページで扱うサーキュレーションは、円環図によって可視化されます。
・左回り=安心・好意・油断(=“わかる感じ”が出る方向)
・右回り=緊張・警戒・尊重(=“わかりにくさ”が出る方向)
ここに 理解・説明・説得という知性は一切関与しません。反応しているのは「身体リズム・代謝・神経反射」といった 生理性の領域です。つまり、情報は 理解ではなく“距離”に沿って流れる。
「共感できる相手」には言葉が走り、「緊張する相手」には理屈が届かない。これが増永の示した 人間条件 です。
●では、人は歩み寄れないのか?
結論は、極めてシンプルです。
・生理性は変わらない(基盤)
・価値観は変えられる(知性)
だから―
「説明しても変わらない」は当然。しかし、それは絶望でも決裂でもありません。知性の領域では、歩み寄れる。ルールを作る、契約する、手順を整える、フィードバックで矯正する、習慣化・教育・訓練で整える。
価値観は、言語化・経験・教育・制度でいくらでも調整できる。ここが「組織文化」や「コミュニケーション・デザイン」の出番です。逆に言えば、増永が指摘したのは価値観レベルの話を、生理性レベルの摩擦にぶつけてはいけないという原則。
●「理屈」は原因ではなく“結果”
生理性が「快・不快」「安心・不安」を命じる。そのあとで人は、 自分の立場を弁護するために理屈を動員する。つまり理屈は「武器」ではなく「言い訳」。だから議論で勝っても、心は動かない。
●類型は“正義の札”ではなく、調整の装置
増永が残したのは、「このタイプはこうすべき」という操作マニュアルではありません。心理距離がどこで発生するか、どこまでが身体で、どこからが知性か。どこが非可変で、どこが可変か。この 境界線を示す地図 です。その地図を土台にして、組織設計、報連相、上下関係、親子・夫婦の摩擦、契約とルールづくりを 知性の領域 で整えていく。ここがまさに ヒューマンスタディ協会の応用領域 なのです。
■まとめ
・“わかる/わからない”は理解ではない ―共感である
・共感は価値観ではない ― 生理性である
・生理性は変わらない ― 価値観は変えられる
・説明の前に身体が判断している
だから、議論で人は動かない。動かせるのは ルール/環境/契約/組織設計 といった“知性の領域”。それが、増永個性学におけるサーキュレーション=心理距離の軌道です。